雨傘運動とは2014年に香港で起こった民主化デモのことで、雨傘革命とも呼ばれます。
主に学生による活動で、香港の中国からの独立を主張する内容だったようです。
学生運動なんて日本ではめっきり見られなくなりましたが、海外ではかつての日本のように盛んに行われているようです。
今回は、なぜ雨傘運動という名前なのか、意味や革命のリーダーについて調べてみることにしました〜。
雨傘革命の概要について
まずは雨傘運動(革命)とはどんなものだったのかをおさらいしてみることにします。
これについては完結にまとめられたものがあるのでそちらを参考にします。
2014年9月に香港で始まった民主化要求運動。
17年に実施される行政長官(香港のトップ)の選挙に関して、中国政府が自由な立候補を阻む選挙制度を決定したため、9月25日夜、民主派の学生らが中環(セントラル)地区の行政府庁舎前に結集した。
3日後、警察の催涙スプレーに、民主派のデモ隊が雨傘を開いて対抗したことから、「雨傘革命」と呼ばれることになった。
香港は1997年にイギリスから中国に返還され、現在は中国の特別行政区である。返還から50年間は、外交・防衛を除く分野での高度な自治を保障する「50年不変の原則」が約束され、現在まで「一国二制度」が貫かれてきた。
香港自治政府の「首長」が行政長官で、現職は12年に選出された梁振英(りょうしんえい)である。
これまで行政長官の選挙は定数1200人の選挙委員による投票で行われ、一般市民の直接選挙権はなかった。
選挙委員は各種議会、産業界、社会団体などの代表者から成るが、親中派が大半を占めていた。
14年8月、中国政府はこれを不服とする香港住民の意向をくみ、18歳以上の住民に行政長官選挙の投票権を与える新制度案を示した。
しかし、立候補者は新設される「指名委員会」が選定する仕組みで、事実上、中国共産党の意向に沿わない民主派の出馬は閉ざされることになった。
完全な自由選挙を求める民主派の占拠は香港島の中環(セントラル)地区から始まり、当初は12年に愛国教育の導入を阻止した学生グループ「学民思潮」らが主導的な役割を担っていた。
やがて主婦や老人、サラリーマンなど一般市民も加わり、大規模デモとなって九龍半島にも拡大していった。
10月21日には民主派学生の代表と行政府の幹部との異例の対話が実現したが、行政府の歩み寄りはなく、物別れに終わった。
民主派への妥協は中国本土の反政府運動や分離独立運動に飛び火しかねないことから、今後も中国当局が新制度を撤回する可能性は低いと見られる。
現在(14年11月末時点)も双方の主張は隔たったまま、行き詰った状態が続いている。引用:コトバンク
革命運動と言うとものすごく過激な活動をイメージしてしまいますし、警察との激しい攻防を繰り広げる映像を想像してしまいますが、催涙スプレーを使用っていう点はけが人を出すことがないのでホッとしました。
こういった革命運動や暴動の鎮圧方法といえば、他には警棒で殴打したり、放水銃で無力化したりする方法があるようですね(゚∀゚;)
それでも治まらないような時はいよいよ拳銃を使用することもあるんだとか…。
雨傘運動に限っては主なメンバーが学生ですし、あまり過激なことまではしないでしょうから、そこまでの対応はなかったのでしょう。
暴動鎮圧の際には盾を持って応戦する姿が印象的ですよね。
あの大きな盾はライオットシールドという名称だそうで、男としては少し憧れる装備品ですね(゚∀゚)
発端は一国二制度か
…少し話が逸れてしまいましたが、今回の主な原因の一つとして一国二制度が挙げられますね。
一国二制度とは文字通り「一つの国だけど二つの制度がある」ということで、中国が香港とマカオの主権を回復し、台湾との統一を図るために打ち出した方針のようです。
二つの制度とは、資本主義、社会主義のことで、これを使い分けることを意味しています。
日本は資本主義国、中国や朝鮮は社会主義国ですね。
中国本土は社会主義だけど、香港自体は資本主義です。
方針が違うのに、香港政府は中国の言うことを聞いてばかり。国民がいくら不満を言っても政府は何も変えようとはしてくれない。
雨傘運動が起きた原因の一つとして「一国二制度はやめてしまえ!」という不満が挙げられますね。
リーダーは誰?
雨傘運動に参加した学生たちが作った政党に「香港衆志(デモシスト)」というものがあります。このグループのリーダーをしていたのが黄之鋒(こう しほう)という19歳の学生です。
彼は、中国からの香港独立を問う住民投票を10年以内に行うなどの政策を要求しました。
19歳とは思えないほどの熱心な政治活動には脱帽ですね。
ですが、雨傘運動のきっかけとなった違法な集会に参加したとして、社会奉仕を命じる有罪判決を受けたとのことです。
自分や仲間の望む世界を獲得するために犠牲をいとわないこういった姿勢を、果たして今の日本の若者が持っているでしょうか?
雨傘運動の結末は?
デモシストによる道路占拠等の活動はおよそ3ヶ月にも及びましたが、香港警察によって鎮圧されました。
座り込みをしていた学生メンバーは数百人が逮捕されてしまったようです。
しかし雨傘運動によって得たものも大きかったようです。
- 占拠運動に対して、中国本土から軍隊が送られてくるかと思いきや、世界の目を気にして結局は送ってこなかったこと。
- 香港政府が香港自身ではなく、中国のために仕事をしているということが判明したこと。
こういった相手方の手札が判明しただけでも、今後の活動はさらに多くの選択肢を得ることができますよね。
雨傘運動の意志を引き継いだ新たな活動が引き起こるのも時間の問題といえそうです。
最後に
香港の評論家である陶傑(chip tsao)氏は今の香港を次のように表現しているようです。
学校の教室で生徒たちの大半が、教師の言うことを聞かなくなりました。
この生徒は香港人で、教師は香港政府です。
教師が警察を呼んで、「大人しくしないと捕まえるぞ」と脅したら、さすがに生徒は黙りました。
もちろん警察は中国です。
生徒は警察がいなくなったらまた騒ぎ出します。
なぜなら、この教師の権威はゼロ、生徒からの尊敬もゼロ、人気もゼロだからです。
これがいまの香港です。
うーん、ものすごく分かりやすいですね(゚∀゚)
雨傘運動が残した可能性から今後の香港がどのような道筋を辿るのか。外国のこととは言え、気になりますね。
引き続き見守っていきたいと思います。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました〜。